ヴィレッジ計画
人間としてもっといい生活をとことん模索しましょう、というのがヴィレッジ計画だ。ヴィレッジは、人としての優しさと思いやりに溢れた空間を広め、次世代が憧れを抱ける社会を構築する大いなる挑戦の場であり、様々な事業『101年プロジェクト』の活動拠点として在り続けます。
世界中の人々がより豊かな生活を求めて経済成長に邁進しています。世界の成長を推進していくのが企業のビジネス活動であり、そういった企業を応援するのが長期投資です。
これは経済の大原則ですが、世の中に良かれと信じる方向で、ビジネス活動や長期投資にお金をまわしてやれば、投入したお金は殖えて戻ってきます。それが企業の利益であり、長期投資のリターンです。
ここに、世界を舞台とした富の増殖という一連の流れが生まれます。お金が世界を舞台に働いてくれ、どんどん殖えていくのです。
そこで長期投資ですが、われわれ一般生活者が主体となって経済を拡大発展させ、皆で豊かな社会を築いていこうとするものです。
その根っこには、お金は抱え込んではいけない、とにかく世の中にまわしていこうという考え方があります。それが故に、殖えて戻ってきた長期投資のリターンも、できるだけ多くを再び社会にまわしてやることが大事となります。
さわかみ財団のヴィレッジ計画は、長期投資のリターンを再び世の中にまわしていく中で、「こんな素敵な生活ができるよ」のモデルを、世に示していこうとするものです。
長期投資の先に広がる世界
世界の成長をお手伝いする長期投資で得る100万円は、東京だろうと地方だろうとどこに住んでも同じ100万円です。
しかし、東京のような大都会と地方とでは、生活コストがまったく違います。それだけ、長期投資で同じように100万円を得ても、手元に残るお金が違ってきます。
たとえば、東京に住んでいると生活コストは70万円とか80万円かかり、手元に残るのは20万円ないし30万円です。
ところが地方に住めば、生活コストは50万円あるいは40万円、ひょっとしたら30万円で済みます。そうなると、手元には50万円とか60万円、場合によっては70万円も残ることになります。
この違いは決定的です。長期投資で得る100万円は地方に住むことで、お金のつかい勝手が大きく広がってくれます。同じ100万円でも価値が驚くほどに高まるのです。そうであれば、この違いを有効に活用しない手はありません。
そこで生まれたのが、ヴィレッジ計画なのです。まさに長期投資の先に広がる、余裕たっぷりの世界です。その余裕でもって、いろいろ新しい価値観を追及してみようではありませんか。
地方に住む方が有利
都会に住むのと、地方に住むのとでは、それぞれに良いところと、やっかいな面とがあります。
ところが、そこへ長期投資をかましてやると、それぞれの良いところだけを引き出すことができます。どうせ生きるのなら、良いところが一杯の空間で毎日を過ごしたいものです。いくつか、具体例を並べ上げてみましょうか。
地方だと仕事が少ないし、給料も低いと、よくいわれます。たしかに東京など大都会に比べると、地方での雇用条件は厳しいし、収入も大きく下がります。
そんな中、長期投資でお金に働いてもらうと、そこからのリターンが地方での収入不足をいくらでも補ってくれます。もともと生活コストは低いから、長期投資のリターンを加えることで、実質的には相当に豊かに暮らしていけるはずです。
都会では、音楽の演奏会や演劇など文化的な接点が多い?地方ではそういった機会が少なく、どうしても文化度が下がる?
だったら、コンサートホールだろうとミニシアターだろうと、あったらいいなと思う文化施設を田舎に建設すればいいのです。長期投資でもたらされるリターンを活用すれば、なんとでもできるはずです。
こう考えてくると、絶対に動かせないものは大自然だけです。そう、大自然に囲まれた地方での生活は、もっともっと見直されてよいはずです。自然豊かな環境で、健康的にはもちろん精神的にも文化的にも潤いのある生活を送ることができたら最高でしょう。
これが、ヴィレッジ計画の基本的な考え方です。
「どうせ生きるなら」をとことん追求する
ヴィレッジ計画では、さわかみ財団が地方に広い土地を取得して、長期投資の先に望める新しい町を建設していこうとするものです。
長期投資がもたらしてくれる金銭的余裕を、生活の質を高める方向で、どんどんつかっていくのです。「どうせ生きるなら、こんな風に生活できたらいいな」を、ひとつひとつ実現させていくのです。それも、徹底的に。
たとえば、住居は陽当たりの良い空間に、無垢の木や漆喰など自然素材だけで建設します。建設コストはちょっと高くなりますが、長期投資のリターンを投入すればなんとかなります。
それで、シックハウスなどとは無縁の健康的な生活を送ることができれば、どれだけ幸せなことでしょうか。
最近、京都や川越市など一部の地域で、歴史的な町並みを復活させようという動きが高まっています。どこも観光の目玉として大きな成功を収めていますが、それだけ歴史的な町並みに心の落ち着きと安らぎを感じるからでしょう。
ところが、最近の町づくりは総じて全体調和に欠けます。ひとつひとつの建造物は芸術性が高かったりと、いろいろな主張があります。しかし、それぞれの形や色合いがバランバランで、町全体でみると醜悪そのものといった感がします。
うちのヴィレッジでは、建築物も色合いも全体の調和を大事にします。それも、自然との溶け込みを絶対重視します。奇天烈な建物やケバケバしい色づかいの中で毎日の生活を送るなど考えられません。
しっとり落ち着いた生活空間で、子どもたちが伸び伸びと跳ねまわる姿をイメージしてください。
公園など不要
そうそう、ヴィレッジ内では自動車の乗り入れ禁止です。自動車で移動する便利さは横へ置いて、人の歩くスピードで生活が成り立っているような町にします。現代社会では便利さや効率を追求するあまり、いろいろ大事なものを失っています。たとえば、路上で花を愛でたり、陽なたぼっこしながらおしゃべりを楽しんだり、思わず道草を食ってしまったといった楽しみは、スピード重視の生活の陰に追いやられる一途です。
ヴィレッジの生活では、どこへ行くのも歩いていかねばなりません。その不便さの代りに、人と人との会話はもちろん、小動物との触れ合いも望むがままとなります。自動車が入ってこないから、ニワトリやチャボからヤギやウサギまで、みんなヴィレッジの住人となれます。そこで遊びまわる子どもたちの姿を思い描いてみてください。
そうそう、路上はすべて公園みたいなものです。ヴィレッジ内のあちらこちらに木製のベンチやスベリ台など簡単な遊具を配置しますが、わざわざ公園をつくることはしません。
ヴィレッジそのものが、自然豊かな公園内にあるようなものです。緊急車両が入れるだけの最低限の舗装はしますが、すべての道路というか小径は間伐材のチップをぶ厚く敷いたものにします。水はけもいいし、歩くとフワフワの感触です。
なんとなく昔なつかしい風景のイメージが浮かんでくるでしょう。これも、長期投資の先に広がるゆとりです。
そうガツガツ稼がなくても
ヴィレッジでの生活は、そうお金がかかりません。長期投資でお金が働いてくれて、その余裕をまわすから?
その通りですが、それだけではありません。先ず、長期投資のリターンをお店の商売に乗せてやることで、商品の売値を引き下げることも可能です。すくなくとも、これだけ稼がなくては食っていけないといった切迫感は薄いものとなるでしょう。
お店ができるだけ利幅の取れる商売をしようとかでガツガツしなくなれば、その余裕はヴィレッジの住人にはありがたいものとして伝わってきます。
そこに生まれてくるのが、「お互いさま」とか「おかげさま」の意識です。お店が気持ちよく頑張ってくれるなら、なにかの形でお返ししたい。そういった互助の意識が自然体で広がっていくのです。
これって、お金を介在させない経済活動だと思いませんか。お互いさまの連鎖で、ヴィレッジの住人それぞれが、皆のために何ができるかを考え、どんどん実行に移していくのです。
そんな青臭い甘っちょろい話は、きれい事を並べたにすぎない?その青臭さが、ヴィレッジ計画なのです。
現代の生活においては、「それはもう仕方ないこと」「まわりがせち辛いから、どうしてもこうなってしまう」といったグチャグチャの多いこと。それが嫌なら、もっとスッキリできる生活を新たにつくっていけばいいじゃないか。これが、ヴィレッジ計画の基本思想です。