test 2023.08.17 201502cswkm-logotunalearning-low20240601_10180120240601_1018012024/05/24 第6回昨年の台風で壊れた友ヶ島の桟橋がまだ痛々しく、新たに建造されている桟橋の完成が待ち遠しい最中、今年も清掃活動を行いました。前回よりも確実に増えたゴミが、コロナ明けを物語っているようでした。white-hands-chorus-2-bannervlcsnap-2024-03-22-17h04m02s064vlcsnap-2024-03-22-15h31m03s540vlcsnap-2024-03-22-15h05m35s041vlcsnap-2024-03-26-10h17m14s056vlcsnap-2024-03-26-10h16m33s863vlcsnap-2024-03-26-08h40m13s443vlcsnap-2024-03-25-17h26m09s425-強化-SRvlcsnap-2024-03-25-17h20m01s877-強化-SRcaba289a-9011-4b5c-a146-c9bb9d473ce9-1024×683hirose-1aki07765_A_detailed_image_of_Japanese_rural_near_lake_with_sun__462fb208-603e-417b-98fc-90558c792456photo_7姫田忠義回顧上映民族文化映像研究所の所長を務められた姫田忠義氏の没後10周年の機に、2023年11月27日(月)〜12月2日(土)の6日間にわたって開催されました。16プログラム23作品を上映。ゲストとともに、知られざる記録映画の巨人、姫田忠義の足跡を多くの方が目にしました。金沢の羽山ごもりはやま(羽山、端山、葉山)とは、山の端、人里のすぐそばにある山という意味である。そして、はやまに坐(いま)す神に対する信仰-はやま信仰-は、歴史も古く、また広く日本各地に分布している。福島県松川町金沢(かねざわ)に伝えられている羽山ごもりは、厳しい潔齋ののちに、はやまの神の託宣(お告げ)を聞き、一年の生活を律する、古いはやま信仰の姿を最も残しているとみられる神事である。 松川町金沢は、阿武隈山系の丘陵上の村で、羽山ごもりは、毎年旧暦11月12日から18日まで行われる1週間の神事である。神事は、金沢の鎮守神とされる黒沼神社の境内にある「篭もり屋」と、すぐ西方にある「神明(しめ)井戸」および黒沼神社の北方にある「はやまさま」にかけて行われる。 まず、神事のはじまる前日、神事の責任者であるカシキたちによる神明井戸の掃除。神明井戸は、神事の期間中、人々が朝夕の水垢離をとり、また朝夕の食事のハナ(米)をとぐ神聖な井戸である。 そして神事第1日目、村の男たちは各家々で水垢離をとり、黒沼神社境内の「篭もり屋」に入り、1週間の神事が終わるまで家に帰らない。 第1日目から第3日目まではいわば準備の期間。ただし第3日目には、「篭もり屋」内にシメがはられ、以後朝夕の水垢離をとらない者は、その内に入ることができない。また1日2度の食事を「ヤワラの儀式」と呼び、その炊事から食事が終わるまでが厳しい戒律をともなった儀礼である。 第4日目は、村内の古社をめぐる「小宮参り」。第5日目夜は、田植え作業を模した「ヨイサー行事」。 第6日目は、神々に捧げる餅を搗く「お峰餅の行事」、最後の食事の儀礼である「大ヨセの儀」「ゴッツォの儀」があり、第7日目の早朝、最後の水垢離をとった人々は、真っ暗な闇の中羽山にむかい「ノリワラ」による羽山の神の託宣を受ける。からむしと麻『魏志倭人伝』に苧麻(ちょま)の名で記されている、衣料材料のカラムシ。同じように古くから利用されてきた麻。第二次大戦後、それらは急速に日本中から消えていった。福島県西部の山間地に位置する昭和村は、沖縄県宮古島とともにただ2カ所のカラムシの生産地である。そして数少ない麻の生産地のひとつでもある。 カラムシは、イラクサ科の多年草であり、根の植え替えを5~6年に一度する。5月、太い直根から出る側根を切り、移し植える。2年目以降の畑では、小満(こまん・立夏の半月後・5月20日頃)にカノ(焼畑)をする。芽の成育をそろえ、害虫の卵を焼くためである。次に、畑の周りを茅の垣根で囲い、風で茎がふれあって、傷がつくのを防ぐ。7月下旬、2mほどに成長したカラムシを刈り取る。その日に苧(お)引きできる量だけを刈る。苧引きとは、剝いだ表皮を苧引板にのせてヒキゴとよぶ刃物で肉質部をそぎ、繊維をとることをいう。とれた繊維は家の中で干される。 麻は、クワ科の一年草。5月に種を播いて、8月下旬に刈り取る。刈り取り後、天日で乾燥する。彼岸頃にオツケ場で4日間水に漬けて柔らかくし、表皮を剝ぎ、さらに水に漬けてから苧引きをし干される。この後、米糠の汁で煮て手でもみ、床に叩きつけていく。ここまでの作業が、カラムシと麻では異なる。 冬、糸を作り、布を織る。まず苧うみ。繊維を爪で細くさき、唾でしめらせながら長くつないでいく。これに糸車で縒りをかけ、糸にする。次に糸ノベ。1反分の長さの経糸を必要な本数だけ数えとる。経糸をオサに通し、機にかけて織る。機は地機である。昭和村の人は、カラムシには「キラがある」と言う。きらめきの意味で、光沢のことをいう。透けるほど繊細に織られる新潟県の越後上布の材料はこのカラムシで、昭和村はその供給地であった。甑島のトシドン日本の南部には、訪れる神(訪問神)の具体的な形象物が多い。異形な面をかぶり、またはほおかぶりをして顔をかくし、蓑などで体中をおおい、といったものである。一方、姿を現わさない神は北部の方に多い。例えばアエノコ、能登半島の村で山ノ神の変身の田ノ神として迎え、御馳走する行事である。一般に山ノ神はその変幻白在さの由をもって具象化し得ないのか、形ある訪問神として私たちは見ることが出来ない。 姿が見える神と姿を見せぬ神。この両者は、明らかに文化の系統が違うのである。モノグラフを描いてみるとはっきり分れてしまって、その重なりあっている地帯でも形を変えずに存在しているのが特徴である。 甑島のトシドンは、遠くは石垣島のマユンガナシ、近くは鹿児島のカセダウチと同じ系統をひいていると思われる。そして、その流れは日本海側に沿って秋田県男鹿半島のナマハゲに至るのである。 非常によく似た訪問神のあり方に対して、人びともまた様々な対応の仕方をしてきた。甑島もその例にもれず、人びとは郷中教育という伝統的な目的性への展開をさせ、今日に至っている。訪問神によって、その裏にひそむ日本人の思想が読みとれはしないだろうか。 甑島は、鹿児島の川内から二十八キロ西に浮ぶ島である。三つの島に別れていて、北から上甑、中甑、下甑島となっている。トシドンは、昔は全島にあったが、今は下甑島の六つの地区で行われている。映画は、その準備の様子を紹介し、トシドンの降りてこられる岩や、バエを見せる。 準備は、蓑や手甲、そして面つくりである。面は、毎年つくり替える。これらつくりものは、子供たちに見られないように、ある宿にこもってつくられる。 大晦日の晩、トシドンは首のない馬(首切れ馬)に乗ってやってくるといわれる。子供たちは、大晦日の晩が近づくと急におとなしくなり、わるさをしなくなる。 トシドンは子供たちにとって誰よりも恐しい存在なのである。 トシドンが暗闇から現われる。馬のイナナキが聞こえ、“おるか、おるか”と呼ばわりながらやってくる。迎える家では、皆、正座して待ちうける。やがてトシドンが暗い部屋に直接這うようにやってくる。そこは、トシドンの異形な姿の恐しさ、そして暗さが手伝って効果満点の舞台となる。 トシドンは、子供たちの1年間の悪行を実に具体的にあばきたてる。子供は、今まで誰も、親ですら知らないと確信していたことをいちいち指摘されるので、仰天してしまう。もちろん、トシドンは叱るだけではない。学業成績が上ったことを知っていた!、善行も覚えていてくれる。一通りの叱責と称讃がすむとほうびとしてトシモチをくれる―トシモチには二通りあって、白い米のモチ(シロモチ)と、唐芋をつき入れたモチ(コッパモチ)がある―悪い子にはコッパモチ、良い子にはシロモチをくれるのである。やがて、トシドンはヒズメの音とイナナキを残して去っていく。 映画は、手打という村の麓地区で行われた八軒のトシドンをあまさず記録し、さまざまな子供たちの対応の仕方を見せ、日常の子供の仕業にいかに大人の眼が光っているかを証明していく。 一夜あけると正月、浜では凧があがっている。与論の十五夜踊り鹿児島県の最南端、与論島。コバルトブルーのサンゴ礁に囲まれた島である。 与論島には鹿児島県の無形民俗文化財に指定されている十五夜踊りがある。十五夜踊りは旧暦八月十五日に最も盛大に行われるもので、他に四と十月の十五日にも行われている。その歴史は詳びらかではないが永禄四年に創られたという説もある。 この舞踊詞は、一番組と二番組に分けられていて、一番組は室町時代の狂言などから取材したものといわれ、二番組は、奄美や沖縄の舞踊と与論島にあった踊りを組合せ構成したものといわれている。このフィルムは八月十五日の十五夜踊りを取り上げたもので、永く記録にとどめる目的で作られた。 与論島は、隆起サンゴ礁の島である。一番高いところは城(グスク)といい、標高50m.ほどである。ここには、常主神社と呼ぶ島をおさめた里主をまつった神社があり、十五夜踊りは、この城後で行われる。 旧暦八月二三日になると、町長(昔は里主)の要請で、二番組の頭の家で旗をあげる。十五夜踊りの準備を始めることであり、島人にまつりがあることを知らせることにもなる。準備は、頭(主取、ヌシドゥイ)の家で太鼓(チヂン)を修理したりする。 旧暦八月十五日、十五夜踊りの当日、二番組の人びとは主取の家に集まり、身をきよめ、チヂンにお神主を捧げて踊りの無事と豊作祈願をする。一番組は、準備を整えて城で待っている。二番組が城に着くと、常主神社で祭典が行われる。 いよいよ十五夜踊りが始まる。最初は、アーミタボーレ、雨を下さいという踊りで、一番組と二番組の合同で行われる。二番組の人びとは、サージと呼ぶ手拭いを頭にまき、覆面をして踊る。踊りの列の先頭には、ヒゲをはやした旗持のの役の人がサーっと掛け声をかけ進む。アーミタホーレは、天に雨を乞う踊りで、「雨を下さい、世の中が幸せになるのです」とうたう。隆起サンゴ礁の島は雨が留まらないから、天水は島の死活問題であり、十五夜踊りの最初にアーミタホーレがあるのも島人の切なる願いの表れである。 次からは二番組の踊りと、一番組の狂言(キョンゲン)が交互に行われる。一番組の狂言の面白さ、楽しさと、二番組の優雅な手踊りがうまく構成されていて、美しい満月のもとに、人びとは、いつまでも立ち去ることはない。 子どもたちも家々をまわって、十五夜ダンゴをとってまわる。南島の夜は、清らかに澄み、城の歌声が島中にしみわたる。茂庭のくらし – 狩猟・漁労・採集1989 年より始まった茂庭の映像記録シリーズの最終回で第5編にあたる。福島市の北部、摺上川の上流域に位置する茂庭地区は、ダム建設のため、全体戸数の約45 パーセントが移転することになった。この記録は水没地区の直ぐ下流に位置する田畑、小泉の集落の方々を中心に、山菜、木の実、キノコの採集や狩猟、漁労など、四季の自然に対応した人々の生活と、その中で培われた人々の精神性を記録した。 春、宮城県の県境の山地から流れ出る摺上川は、雪融けの水もゆるやかになり、川沿いには春の花が咲き乱れる一年の中でも最も美しい季節だ。上流域の茂庭で、人々はクキつくりに川に入っていく。 クキとは、人が自然の川に手を加えてハヤの産卵場所をつくったものを指す。乾いた砂利石を馬蹄状に築いた堤の中のツボに入れる。 クキは、水の流れを読んでつくるので、長い間の失敗と成功の歴史の中に培われたもので、誰でもできるというわけにはいかない。出来上がって翌日には、ハヤは産卵のために集まってくる。体全体で新しい石に体当たりをして卵を生みつける。この時期ハヤの腹は赤く輝いているので、ここではアカハラと呼んでいる。 おなじ頃、摺上川の周りの山々は新緑にまぶしく輝いて、人々は山菜とりに山をかき分ける。ココメ、ウルイ、ゼンマイ。山の幸は川の幸と同じようにとる楽しさで一杯だ。主に女の人が山に入る。取り方にも、来年の為にと、深い注意をはらって取る。茂庭に住む人と自然の関係は、人間の一方的利得だけの略奪行為でないことを教えてくれる。 初夏、茂庭のあちこちでノバチが巣を作っている。この蜜をいただくのだが、蜜巣を全部とることはしない。半分から1/3は残しておく。 田植えの終わった田では、夜ドジョウブチが行われる。ヤスはヤマブキの芯に縫い針を植えてつくった。 川ではアユの解禁となり、アユのトモヅリが行われる。夏の時期のハヤはテンカラの釣り。ヒタシバリはアユやハヤがかかる。忙しい合間の仕掛けで夕方に埋め早朝針を揚げる。 秋、茸の季節だ、風倒木にはナメコがびっしりとつく。茸の王者はマイタケ。楢の木の根方に花咲くように付いている。茸も春の山菜も保存食として処理をする。茸にナンバンを入れると虫が逃げていく知恵を教わる。 冬、雪山で兎の巻狩りが行われる。大勢の勢子がひとつの山を巻いて兎をタチに追い上げていく。 かつて、冬でも川漁が行われていた。川の淵には氷が張り詰め、流れがゆるやかな淵にはハヤがたまっている。その周りを氷を割って壁のように立てかけ、雪を放り込む。するとハヤが浮いてきて、手掴みで取る近頃は川が凍る事がなく、このザイワレは行われなくなった。秩父の通過儀礼このフィルムは、1979 年制作「秩父の通過儀礼その1-安産祈願から帯解きまでー」に続くものであり、七才から十五才までの子どもたちの通過儀礼を記録したものである。 秩父では、かつて「七才までは神の子」とされていた。そして、七才(数え年。以下同文)の帯解き祝いが終わると、幼児期を脱した少年少女期として認められ、子どもたちは自身による集団的遊びや行事に参加するようになる。 そして、十五才になると、村の戸主たちの前で「水祝儀」を受け、一人前の村の成員としてぐうされるようになり、村の共同作業に家族の代表として参加することになる。 幼児期との間にある少年少女期。この期間に子どもたちは、おのずからなる心身の成長をとげながら、子ども自身の力による集団活動を経験し、来るべき大人社会への参加を準備するのである。 1.子どもザサラ(皆野町三沢、門平) 秩父地方では、神に奉納される獅子舞のことをササラとも呼ぶ。七才ぐらいから大人にいたる村人の芸能組織によって演じられてきた。「七つ子が今年はじめてササラ摺る よくはなけれど讃めて給われ」、七才になった子どもは、晴れてこのササラに参加し、女の子は、これに参加することによって「ああ、娘になった。もう嫁に行ける」と喜ばれたのである。 2.オヒナガマ(小鹿町、河原沢)4 月3 日 子ども組みに夜おひな祭りである。河原に、男組、女組がそれぞれ石囲いの場を築き、正面の石壇にひなを飾り、粥をにて一日川原で遊ぶ。ひな祭りの古型を伝えるもので、お祓いの習俗をうかがうことができる。 3.花まつり(吉田町、塚越)5月7,8日 子どもたちは、4月末ごろから山に入り、さまざまな春の花を集める。そして5月7日の夜、熊の神社に籠って花で飾った花御堂をつくり、釈迦像を安置する。8日の朝、裏山にある薬師堂まで山道に花を敷きつめながら花御堂を運び上げる。美しく素朴な子どもの祭りである。 4.天王焼き(小鹿野町、半平)7月21、22日 男の子ども組によるもので、子どもたちは7月に入ると山から竹を伐り出し、家々から麦ワラを集め、山の中腹に巨大な四角錐の小屋をつくる。そして、21日の夜、そこに籠り、22日夜、花火を打ち上げた後、小屋に火を放つ。災厄を焼き払い、村人の安全を願う行事である。 5.水祝儀(皆野町、門平)正月元旦 村人の居並す席に、十五才になった少年が、招かれ、村の代表(行事)がナンテンの葉で水を少年にふりかける。少年の盃に酒が注がれ、少年が一人前の村の成員になったことが祝われるのである。 6.村の共同作業に出る少年。越前和紙日本の紙を代表する越前和紙。その産地である今立町五箇は、越前平野の南部、古代の国府を眼前にした水の豊かな山懐の里である。 この記録は越前和紙の原点ともいうべき生漉奉書(きずきほうしょ)の漉き手、岩野市兵衛さん一家の営みを中心に、走査電子顕微鏡写真なども駆使しつつ、「紙を漉く」とはどういうことかを探る。紙漉きは種々の道具や材料を必要とする。漉き桁、漉き簾を作る人々、原料の楮(コウゾ)やネリの材料のトロロアオイを栽培する人など、和紙作りを支える作業も追う。 2月3日、節分の日。市兵衛さんは権現山上に鎮まる紙祖神川上御前の祠から火をいただいて来る。楮を煮る火である。11月末頃に収穫し、蒸して剥いておいた楮の皮を苛性ソーダ液で煮る。皮を柔らかくし、アクをぬく作業である。次に煮て柔らかくした皮から節やキズを取り除くチリトリをする。冷たい水中での手作業で、細かく根気のいる作業である。一家総出で行われる。この後樫の棒で打って繊維組織をほぐす叩解(こうかい)、水中で余分なデンプン質を洗い流すカミダシと続く。 原料の準備ができた。次にネリの準備をする。材料はトロロアオイの根とトリウツギの皮。ネリはその粘り気で繊維の動きをなめらかにして並びの方向を整えつつ、紙の厚みをつくる役割を果たす。 漉き桁を静かに前後に動かして紙を漉く。手首や全身の微妙な動きと目くばりによって均質な紙となる。紙を漉くとは、精妙な組織構成になっている楮の皮の繊維を一本一本にほぐし、もう一度からみあわせ、再構成することなのである。漉いた紙は慎重に圧搾して水分を絞り、板張りして乾燥する。最後に一枚一枚点検して奉書は完成する。 春、五箇のまつり。人々は紙漉きを教えたと、川上御前を崇敬する。 市兵衛さんは言う。「越前奉書の特徴は、ぽってりと白くて柔らかい。和紙の和というものを重んじて、家族の者が穏やかに、祈りをこめて紙を漉くのです」と。竹縄のさと東秩父村は秩父山地の東側にある集落で、昭和20年代まで盛んに竹縄が作られていた。その経験者、関根ヒロさんと若林チョウさんを中心に、萩平の人々によって行われた竹縄作りと、その多様な利用法の記録である。 竹縄は丈夫で弾力性にとみ、また水に強い。東秩父村で作られた竹縄は、東北地方南部一帯から関東地方 一円にかけて用いられてきた。 竹縄にはマダケとハチクを用いる。萩平の人々は、米のとぎ汁や煮た大豆をまいて竹林を大切に育ててきた。竹伐り旬(最も適した竹が得られる期間)は、7月末から8月初めに3日間ほどしかない。この間に新子(その年に生えた竹)を伐り、火にあぶって油抜きをし、細く小割りにする。そして乾かして、秋まで火棚の上や屋根裏に保存する。 縄にする作業は秋から翌年春までの農閑期に行う。沢の水をせきとめて作った竹シテ場に、小割りした竹を1週間漬けて柔らかくする。 柔らかくなった竹の表皮を剥ぐ。次に「竹ヘギ」、肉質部を0.5㎜ぐらぃに薄く剥ぐ。肉の厚い竹で12枚、薄いもので6枚くらいに剥ぐ。「縄縒り」、縒りをかけながら長くつないでいく。縒った縄はクモデに巻きとる。「縄ブチ」、クモデを使って縒った縄をさらに3本縒りにする。そして、縒りかけ機で縒りをしめ、「コスリ」をして縄目をつぶす。イヨマンテ -熊おくり-イヨマンテとはイ(それを)・オマンテ(返す)という意味で、熊の魂を神の国へ送り返すまつりをいう。アイヌ民族にとって、熊は重要な狩猟対象であるとともに神であり、親しみと畏敬の対象であった。熊は神の国から、毛皮の着物を着、肉の食べ物を背負い、胆(い)という万病の薬を持って、アイヌつまり人間の世界へ来てくれる。 1977年3月上旬、このイヨマンテは行われた。指導にあたったのは二風谷アイヌ民族資料館の萱野茂さん。 「本物のイヨマンテを覚えておきたい」というアイヌの青年たちの熱意に支えられて、まつりは実現した。 イヨマンテが始まる。熊は檻から出され、ヌササン(祭壇)の前に連れていかれる。花矢が次々に射られ、最後に矢が射られる。その前でニヌムッチャリ(クルミと干魚を撒く)をする。アイヌの村は豊かで楽しい所だと神の国に言づけてもらいたいという願いが込められている。またアイヌペウレプ(人が熊の役をして遊ぶ)や網引きをして、豊猟を祈る。 ヌササンの前で熊の解体。肉は作法に従いカムシケニ(肉を背負う木)にかけられる。次いで、魂が宿っているとされるオルシクルマラプト(毛皮をつけた頭)をチセ(家)に招じ入れ、火の神との対面をする。そして夜を徹しての宴。 2日目深夜、ウンメンケ(頭の化粧)。鼻先と耳の毛だけを残して熊の頭から毛皮が取られ、目、下、脳も取り除かれる。そしてイナウキケ(木の削りかけを使った祭具)や麹、笹で美しく飾る。その頭骨をユクサパウンニ(熊の頭をのせる木)にのせ、カムイシンタ(神の乗り物)をつけ、性器をつるし、祭主のしるしをつけたパスィ(へら)をつるし、着物を着せ、土産を持たせる。 そして3日目早朝、ケオマンテ(なきがら送り)の儀式が行われる。 イヨマンテは、アイヌの自然観、生命観が凝縮したまつりである。生命体である人間と他の生命体である動物との対峙。そこには人間の信仰、文化の原初への啓示がある。下園の十五夜旧暦の八月十五夜は、いわゆる中秋の名月である。十五夜行事は収穫の感謝祭である。 鹿児島県を含む南九州は、特に十五夜の綱引や相撲が盛んなところである。そしてそれはただ単に月見の余興ではなく、十五夜行事というものの本来の意味を考えさせる重要な手がかりになる行事である。 このフィルムは、十五夜の綱引などの古い習俗を伝えていると考えられる枕崎市下園(しもぞん)における十五夜行事を記録したものである。 枕崎の海岸から約4キロメートル内陸に入った下園地区は、川ぞいの平坦地を三方から山がかこみ、小さな盆地となっている。川ぞいに水田、山すそから山腹にかけて畑がひらかれている。 旧暦8月1日(八朔)を過ぎると、人々は山に通い、大量のカヤを刈り集める。十五夜綱引の綱をつくるためである。七才から十四才ぐらいまでの子どもたちも山に行き、カヤをひく。子どもたちは大人と違ってカマを使わず手で引き抜く。カヤを束にして頭からすっぽりとかぶって山を降りる。カヤ束のてっぺんにヘゴ(ウラジロ)やアケビの実で飾ったヘゴガサをゆさゆさと揺らしながら狭い山道を降りてくる。 大声で歌をうたいながら下りるのだ。村の入り口では人々がヘゴガサの一群を出迎える。 すっぽりとカヤ束をかぶった子どもたちの姿は異様である。 下園の人々はそれを神さまだと思い描いている。下園の十五夜行事のなかで、最初のそして大事な行事である。 実は山から神が下ってくることをこれほど具象的に残されている例を他に知らない。 家々では月へ供える御馳走をつくる。サトイモ、大根、筍など、すべて畑作物であり、それを煮付にする。月が出ると人々は収穫感謝のおもいをこめて捧げる。 御馳走は臼の上に箕をおき、その上に並べ、花瓶にススキを飾っておく。 十五夜の日になる。カヤの大綱がつくられる。 月が上がる。素裸の子どもたち(山からカヤをかぶって下がってきた子どもたち)が大綱に腰かけ、歌をうたいながら大綱を守っている。 キンメイチクでつくった火縄の火をふりながら二才衆(青年たち)が闇のなかからあらわれ、突然子どもたちに襲いかかる。逃げる子どもたち。二才衆が去るとまた歌で勇気をつけながら綱をまもる。 ユーモラスなツナミ(綱見)の後、子どもたちと二才衆の綱引。そしてハラベッサイ。二才衆が子どもたちに襲いかかり、子どもたちもけんめいに二才衆とたたかう。なぜ二才衆が子どもたちをおそうのか。なぜ子どもたちはたたかうのか。綱引きという行為そのものをふくめて深い暗示に富んだ行事である。 十五夜綱引きと相撲が終わると子どもたちは家に帰り、2才やサンゼ(三才・壮年層の人びと)だけが残る車座になり、十五夜綱引きの綱のセリをする。取り仕切るのは二才衆である。そして翌朝、二才衆たちは綱をほぐし、落札した人の畑にそれを運んで敷きつめる。 山から運ばれたカヤは、綱になり、そして再び土になり、畑の作物の肥料になるのである。photo_7寝屋子 -海から生まれた家族-伊勢湾口に浮かぶ島、答志島(とうしじま)。この記録フィルムは、この島の答志集落に伝えられている日本で唯一の伝統的若者宿の制度(ここでは「寝屋子(ねやこ)」とよぶ)を、1980年3月から1994年秋までの14年余をかけて記録し、それをまとめたものである。 伝統的な若者宿は、かつて日本の各地でみられる制度であった。しかし第二次世界大戦後、特に1960年代に急速に消滅していった。答志の寝屋子は、その激動する時代をくぐりぬけて生き続けている唯一のものである。 答志は、海に依存し、漁業に生きる町である。 なぜこの地に、伝統的若者宿の制度が、生き続けているのであろうか。 答志では、中学校を卒業した男子は、数人単位のグループをつくり、寝屋親を選び、自分たちの宿を引き受けてくれるように頼んでもらう。そして10数年、起居をともにする共同生活をし、最初の結婚者が出るとそれを機にその寝屋子組は解散する。 血気盛んな時期の共同生活である。実の兄弟以上に強い人間的結びつきが寝屋子たちに生まれ、また寝屋親とは実の親とはまた違った強い結びつきが生まれる。そしてそれは生涯変わることはない。 寝屋親には、たいてい30歳代後半から40歳代前半の人がなる。自分の両親や子どもがいる。子どもはまだ小さい。さらにそこに数人の他人の子どもを引き受けなければならないのである。 「ここが漁業で生き続けるかぎり寝屋子はなくならない」と、この記録で追い続けた、通称「辰吉寝屋子」の寝屋親、山下正弥さんは言った。「わしらは漁師。海の仕事には危険がつきまとう。助け合わなければならない。寝屋子はその助け合いの制度だ」そうも言った。 この記録は、辰吉寝屋子14年の記録でもある。龍郷のアラセ龍郷村(たつごう) 秋名(あきな)は三方が山に囲まれ、一方が入り江になっていて、その間は広い田が袋状に拓けている。 ショッチョガマはその田袋が見渡せる山の中腹に建てられる。 アラセツと呼ぶ節の折目の行事(旧暦の8月、初ヒノエの日)に備えて一ヶ月も前から男たちは山に入り材料となる木やススキなどをとってくる。アラセツを前にした日曜日、朝早くからホラ貝の合図で村の男たちが集まってくる。 ショッチョガマは山の中腹に建てられる小屋である。 中心となる柱(スダチバシラ)二本は、15才になって青年の仲間入りをした家の山から伐り出したものだった。 現在は村の山から運び出してくる。小屋は片流れの屋根でススキを葺く。スダチ柱の前に竹で編んだシルを二本たて、屋根の両端に俵に見たてたものをおき、ボウと呼ぶ葦のような草をねかせ、張りだしておく。 稲の穂が重く吊れている様をあらわしている。 アラセツの前の晩から、太鼓(チヂャ)に合わせて八月踊りが行われる。 八月踊りは、村の全ての家をまわって踊りあかす。 アラセツの日の明け方、八月踊りで祝福してまわった人々は、ショッチョガマに集まり、屋根に登る。(男のみ) ショッチョガマの上でうたをうたい、屋根をゆらす。丁度日の出の頃、うたも最高調に達し、足をふんばり一気にゆり倒す。稲が畦を枕に倒れるさまをあらわしているのだという。 同じ日の午後3時頃、秋名の浜の聖なる神平瀬にノロカナシ(女の神人)が5人集まり、向かい合った女童平瀬にグジ(男の神役)と数人の地神さんたちがのる。荘重な歌がかけ合いで神平瀬と女童平瀬の間を往き来する。そして両手をかかげてまねき合いをする。 これがマンカイ(まねき合い)であり、稲の精霊(イナダマカナシ)を呼び寄せて豊作祈願をする。 ショッチョガマは、山の、男の豊作祈願であり、平瀬マンカイは、海の、女の豊作祈願である。 このアラセツの2つのまつりは、稲霊さまを迎える異なった方法で、きちんと分けられていることに、大きな興味をひきつけられる。奥会津の木地師日本列島には、近年まで移動性の生活をする人々が活躍していた。山から山へ移動して椀などの木地物を作る木地師も、そのなかにあった。 これは、昭和初期まで福島県南部の山間地で盛んに移動性の活動をしていた木地師の家族、小椋藤八さん、星平四郎さん、星千代世さん、湯田文子さんによる、当時の生活と技術の再現記録である。作品4「うつわ―食器の文化」の制作過程での藤八さんたちとの出会いから生まれた。 この地域はブナを中心にした落葉広葉樹林帯である。藤八さんたちは、ブナを材料とした椀を作っていた。 まず木地屋敷を作る。屋根も壁も笹で葺く、掘立て造りである。家の中には、囲炉裏のある座敷とフイゴやロクロ台などを置く広い土間がある。屋敷ができあがると山の神を祀り、フイゴまつりをする。山の神まつりで藤八さんが唱えた唱え言は、古代のタマフリではないかとみる人もある。谷から水も引いてきた。 椀作りが始まる。男たちは、山へ入りブナを倒し、伐り株に笹を立てて神に祈る。そして、その場で椀の荒型を作る。倒したブナに切り込みを入れて山型を作り、マガリヨキでそれをはつり起こしていく。女たちが荒型を木地屋敷に運び、椀の外側を削って整形するカタブチ作業、中を刳るナカグリ作業と続ける。男たちが、手引きロクロで椀に仕上げていく。 できあがった椀は馬の背で町へ運ばれていく。 人の力で回される手引きロクロは、奈良時代に大陸から導入されたものだという。藤八さんたちは移動性生活をやめ、手引きロクロの作業もしなくなってすでに50年余りたっていた。しかし藤八さんたちの身体には、千年を越す技術の伝統が見事に息づいていたのであった。椿山 -焼畑に生きる-山に生きるまつりアイヌの結婚式椿山(つばやま)は、四国の最高峰石槌山の南方、急峻な渓谷奥の斜面にある戸数30戸ほどの小集落である。平家落人伝説も伝わる。その椿山は、雑穀主体の焼畑作業を営々と続けてきた。これは、椿山の焼畑を中心にした一年の生活と人々の生きざまを、4年間にわたって記録した長編である。 焼畑は第二次大戦後まで全国各地で行われていたが、1950年代に入って急速に消えていった。しかし、椿山の人々は焼畑を続けてきた。その椿山の生活の大きな支えとなってきたのがミツマタ栽培である。春、焼畑地全域にミツマタの花が咲く頃、その刈り取りと皮剥ぎ作業が行われる。ミツマタは和紙、ことに紙幣の原料である。 ここの焼畑には、前年の夏に木を伐って春に焼く「春山(はるやま)」と、夏に木を伐ってすぐ焼く「夏山(なつやま)」とがある。3年から5年作物を作って山に返し、20~30年の周期でもとの場所に帰る。作物はヒエ、アワ、大豆、小豆、トウモロコシ、ソバ、タイモ(サトイモ)などで、土地の高さや陽当たりなどの条件によって、その作付け順序が決まる。 夏。突如、強烈な雨台風が椿山を襲った。周囲の山や谷、そして集落の足下も崩れ、その打撃のために生活のリズムが翌年夏まで完全に狂ってしまった。 再び焼畑作業が始まり、作物の豊饒を願う虫送りの行事や、中世の踊念仏を髣髴させる太鼓踊りのある氏仏(うじぼとけ)のまつり、先祖まつりなども復活する。椿山には、11の先祖組があり、それは、焼畑を軸にしたここの社会生活の基礎単位である。 また、隣村からはるかに遠い地にある椿山には、昨今の日本人がややもすれば忘れがちなものが多々ある。例えば、明日への備え。各家の倉には山と積まれたヒエの俵がある。ヒエを必要とする時代は過ぎ去ったのに、である。 収穫の秋、タイモを堀り、アワやソバを刈り、豆を引く。そして味噌や豆腐を作る。満山の紅葉ののち、椿山に雪の季節が来る。第1期作業の完了2011年4月より一つ一つ完成し、2011年10月6日に第1期作業が完了しました。この度のデジタル化は、原版であるネガ・フィルムをデジタルテープにテレシネ作業するものを言います。完成したデジタル原版民映研の映画作品は主に16ミリフィルムで撮影し、研究所発足35年の間、フィルム原版であるネガはポジにプリントされ、国内外で上映されてきましたが、近年のフィルム上映施設激減、設備の老朽化などで上映も困難になりました。フィルム原版のデジタル化当財団では、これら同研究所が制作した映像の保存と永続化を願い、記録映画119作品のフィルム原版の点検整理及びデジタル化事業として、本デジタル化を2011年の作業完了を目指します。2期に分けて実施し、第1期作業では、同研究所の自主制作作品を中心にデジタル化を行います。maguro-adsawakami-shop_a01_1_d_20221025131736maguro-monogatari-moviesawakami-shop_a02_1_d_20230328164624white-hands-chorus-coverwhite-hands-chorus子供経済SONY DSCSONY DSCcaba289a-9011-4b5c-a146-c9bb9d473ce9-600×2002016-093242S__3303836820110615_00-1-600×200head_academy-1-600×20020180512_12-120101205_01-1-600×200SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCいのちの教室kumano-sakuravillage夢アカデミー実務や経験で得たものを次なる夢へ! 「自立したい」「起業したい」人を対象にした「夢アカデミー」。 校長の澤上篤人をはじめ、各界のゲスト講師を迎え、夢をビジネスにしていくための、多くの気づきと成功へのヒントを得られる座学を越えた実務教育です。和紙 伝統産業から学ぶ楮(コウゾ)を植樹し伝統産業の原料につなげる! 埼玉県小川町は伝統産業の「和紙」が有名です。チビ山プロジェクトで紹介しましたが、私たちは「楮(コウゾ)」を植樹し、原料提供を行えるべく進めています。オーシャンスポーツ支援経済と投資(経済ゲーム)経済ゲーム「未来は自分でつくる!」は、人々の暮しの中にある経済をゲーム性のプログラムで楽しく体験します。 さらに、ゲームをするだけではなく、言葉による説明の時間を設けることで長期的なものごとの考え方、自分の人生の生き方を考えるきっかけをプログラム内で提供いたします。JPSA『一般社団法人日本プロサーフィン連盟(以下、JPSA)』様より、東日本大震災後における放射能問題、風評被害などの影響でスポンサーが集まらず、大会の開催が危ぶまれているとのご相談を受け「なんとか大会を存続させたい」という想いに共感し、協賛しています。 大会では、選手たちが見せる卓越したテクニックやドラマチックな試合展開などを目の当たりにし、毎回多くの感動をいただいています。 選手だけでなく、大会運営の方々、ギャラリーのみなさん、選手たちのファンの皆さま、ならびに地元周辺地域の皆さまと共に大会を盛り上げていこうという私たちの想いにも共感していただいていると実感しています。本大会を通じて、地域経済や社会が少しでも元気を取り戻せるよう、『さわかみグループ』がこれからも応援させていただきます。関西独立リーグ野球で生きていくという覚悟と志し 日本では、セ・リーグやパ・リーグなど選手契約をして給料をもらえる「プロ野球」や、企業に社会人として勤めながら野球をする「企業野球=通称・社会人野球」、学生生活を送りながら試合を行う「高校野球」や「大学野球」が有名ですが、それとは少し異なるのが、地域密着型の選手育成組織「独立リーグ」。『野球が好きで。野球が諦められなくて。もっとうまくなりたくて。』その気持ちだけで日々野球に取り組む心熱い若者たちを応援しています。針葉樹整備寄居町有林の整備活動を行うことが“きっかけ”となり、ありがたいことに住民の方の保有林整備を受託させていただきました。その整備地は、戦国時代、北条氏の北関東支配の拠点であった鉢形城(寄居町)の跡地に、また鐘撞堂山へのハイキングコースに隣接しています。遊歩道整備SONY DSCarchives-digitize棚田 田植え開墾編少子高齢過疎化だけではなく、農業人口の減少、安全で美味しい食品を求める消費者、持続可能な少量供給も議論の対象に。さわかみ財団では、農地継承されず、遊休農地・耕作放棄地となってしまった土地を開墾し、再生しつつヴィレッジでの活用ノウハウの習得を目指します。ちび山命の教室心臓マッサージ101forest2019/04/12 第2回45リットルのゴミ袋、約30袋の漂着ゴミを清掃。漂着ゴミは、日々海岸に流れ着くので拾っても拾ってもゴミは海岸に溜まっていきます。2017/11/25 第1回手つかずの期間が長かったのか、想像を超えるゴミの量。流れ着いたもの、キャンプなどで残されたものなどが主でゴミの年代は様々。2019/09/20 第4回今回は島の砲台前のビーチ清掃をしました。夏場にビーチで遊んだあとのゴミも目立った海岸は、前回の清掃場所とは違って漂着ゴミと島に訪問した方が持ち帰らなかっただろう新しいゴミも多くありました。2019/09/06 第3回みるみるうちにペットボトルゴミが詰められたゴミ袋が山のように積まれていきます。日陰のない強い日差しでの清掃作業になり、参加者全員が滝のような汗をかいて作業を進めました。2011/10/25 被害状況(2)2011/9/28 被害状況(1)2011/7/9 下草刈り第5回2010/9/24 下草刈り第4回2010/6/26 下草刈り第3回2009/10/11 下草刈り第2回2013/6/28 「紀伊半島大水害」から2年弱2009/6/20 下草刈り第1回2009/4/25 植樹風景IMG_4785archives-memory姫田忠義氏archives20101229_01-1アセット 2fcoastal-cleanup2023/04/14 第5回コロナ禍が収束し、加太港と友ヶ島をつなぐ船は満席に近く、客足が戻った印象です。同時にゴミが増えることも予想されます。今後も友ヶ島の美しい景観を保つべく活動を続けていきます。vlcsnap-2023-04-18-09h48m32s633vlcsnap-2023-04-18-09h48m05s161vlcsnap-2023-04-18-10h29m44s187vlcsnap-2023-04-18-10h15m31s014vlcsnap-2023-04-18-10h13m52s510vlcsnap-2023-04-18-10h13m45s586vlcsnap-2023-04-18-10h13m22s126vlcsnap-2023-04-18-10h12m52s654vlcsnap-2023-04-18-10h12m19s268vlcsnap-2023-04-18-10h12m07s997vlcsnap-2023-04-18-10h11m02s660vlcsnap-2023-04-18-10h10m54s898vlcsnap-2023-04-18-10h10m28s194vlcsnap-2023-04-18-10h09m43s422vlcsnap-2023-04-18-10h07m25s520アセット 1fvlcsnap-2023-04-18-10h11m02s660vlcsnap-2023-07-20-16h13m08s004SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY 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(1)2023/04/18参加者8名で修繕活動を行いました。2023-03- (7)2023-03- (6)2023-03- (5)2023-03- (4)2023/03/17参加者10名で修繕活動を行いました。2023-03- (2)2023-03- (1)20XX/XX/XX [場所]で〇名参加しました。2012/05/26参加者15名で1.74tの土を運びました。SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSC2012/11/24参加者10名で2.5tの土を運びました。SONY DSCSONY DSC2012/10/27参加者8名で2.5tの土を運びました。SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSC20111104 (2)2011/11/04参加者15名で修繕活動を行いました。20110417 (4)20110417 (3)20110417 (2)2011/04/17参加者14名で2tの土を運びました。SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSC2011/02/20参加者9名で4.41tの土を運びました。SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSC2016/05/18参加者9名で2tの土を運びました。SONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY DSCSONY 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DSC2017/11/11参加者8名で2tの土を運びました。2018/.07/07参加者11名で修繕活動を行いました。2018/11/10参加者14名で2tの土を運びました。20190413_920190413_820190413_620190413_520190413_32019/04/13参加者11名で2tの土を運びました。2019/09/07参加者9名で修繕活動を行いました。2019/09/21参加者11名で修繕活動を行いました。20190921_420190921_320190921_120191207_12019/12/07参加者11名で2tの土を運びました。20191207_520191207_320201017_19DCIM100GOPROGOPR0080.JPGDCIM100GOPROGOPR0080.JPG20201017_22DCIM100GOPROGOPR0070.JPGDCIM100GOPROGOPR0070.JPG2020/10/17参加者15名で修繕活動を行いました。20201017_1820201017_1720201017_1220201017_1120201017_1020201017_8DCIM100GOPROGOPR0047.JPGDCIM100GOPROGOPR0047.JPGDCIM100GOPROGOPR0048.JPGDCIM100GOPROGOPR0048.JPG20201017_5DCIM100GOPROGOPR0036.JPGDCIM100GOPROGOPR0036.JPGDCIM100GOPROGOPR0031.JPGDCIM100GOPROGOPR0031.JPG2022/04/09参加者18名で2tの土を運びました。IMG__202204‗2202210/15参加者17名で2tの土を運びました。IMG_202210‗2IMG_20221112_42022/11/12参加者16名で1tの土を運びました。IMG_20221102‗2 (2)test1N2A1758-EditDSC04922unknown (1)IMG_20190921_130314_BEAUTY_1head_village-1-1024×477マグロfavicon16f5199a2bceec5898挨拶理念財団について101project_conservation_road_back_photoエスプレッソサンドイッチコーヒー